チャイルド・ファンド・ジャパンとは

チャイルド・ファンド・ジャパンの歴史

チャイルド・ファンド・ジャパンは、1975年に日本のNGOの草分けとして活動を始めました


そもそもの始まりは、第二次世界大戦後から

1948年

CCFの総主事のミルス博士と支援を受けた子どもたち

1948年、アメリカの民間団体であるキリスト教児童基金(CCF)が、日本の子どもたちへの支援を始めました。CCFは、戦後の厳しい環境のなか児童養護施設で生活する戦災孤児たちの健全な成長を支えました。

1952年

1952年には、CCFからの支援を子どもたちに届けるための日本事務所として、社会福祉法人基督教児童福祉会(CCWA)が設立されました。アメリカ・カナダの人々からの支援を受け、CCWAは戦災孤児への支援を拡大しました

施設の子どもたち

1974年まで

支援を受ける子どもたち

それから1974年までの26年間、CCFとCCWAは児童養護施設の子どもたちへの支援を続けました。26年間の活動で、のべ86,000名の日本の子どもたちが、総額約56億円もの支援を受けました。


愛のバトンタッチ

1974年

栄養不良の子どもたちへの補食プログラム

1974年、日本は経済成長を遂げ、日本の子どもたちを取り巻く環境は大きく改善されました。日本政府による児童養護施設への措置費なども充実し、CCFは日本への支援を徐々に減らす方針を示しました。他方で、南アジアの厳しい貧困問題が、日本国内でも徐々に認知されるようになりました。

8月、CCWAのスタッフと児童養護施設の施設長たちはフィリピンやタイなどのアジア諸国を視察しました。そこで圧倒的な貧困の現実を目の当たりにし、アジアの子どもたちへの支援の必要性が認識されました。

視察後、CCWAは、CCFからの支援を辞退すること、そして今度は、アジアの貧しい子どもたちを支援することを決めました。アメリカ・カナダの人々が日本の子どもたちを支援したのと同じように、日本がアジアの貧しい子どもたちを支援する。これまでの26年間の善意を途切れさせるのではなく、「順送りの恩返し」をすることを決めました。

1975年

CCWAは貧しい子どもたちを支援するために、法人内に国際精神里親運動部を創設しました。支援の受け手から、支援の担い手へ。これが、現在のチャイルド・ファンド・ジャパンのはじまりです。

1975年、支援開始当時の2番目のセンター、
ボトランの子どもたち

紆余曲折を経て、活動を拡大

1975年から

1978年に行われた「会員の集い」の様子
1978年に行われた「会員の集い」の様子

1975年、5名のスタッフで、国際精神里親運動部は活動を開始しました。当時、東南アジアの中でも特に厳しい貧困状況にあったフィリピンが、支援対象として選ばれました。4月にはフィリピンの3ヵ所の協力センター、67名の子どもたちに、初めて送金することができました。

当時は、民間の団体による国際協力は、一般的ではありませんでした。今でこそ日本国内に多くの国際協力NGOが存在し、活動していますが、1975年頃は、一般の人々の国際協力への理解は限られたものでした。

また、「フィリピンを支援することは独裁政権を支えることになるのではないか?」という批判もありました。しかし、厳しい生活を強いられている子どもたちや家族を支えるため、スタッフ全員で必死に募金活動を行い、最初の5年間で500名を超える方々がスポンサー(里親)になってくれました。

1980年

80年代前半には、新聞やテレビなどでCCWAの支援活動が紹介される機会が増えました。特に、女性の芸能人の方が里親として支援を行っていることが産経新聞に掲載されると、大きな反響があり、多くの方が新たにスポンサー(里親)として支援くださることになりました。

支援者の増加に伴い、フィリピンでの活動規模も拡大することができました。協力センターの数も順調に増え、1987年には、東京とフィリピンでの事業の調整を円滑に行うため、マニラにフィリピン事務所を開設しました。

1981年、新聞に芳村真理さんの記事が掲載され、会員数が増加しました

1990年

1990年代前半フィリピンの災害の写真
【写真上】1990年バギオ大地震が発生、緊急・復興支援を実施しました
【写真下】1991年、ピナトゥボ火山が爆発、数年に渡って復興支援を行いました

1990年前半は、フィリピンで2つの大規模な自然災害が相次いで起こり、緊急・復興支援を実施しました。1990年、ルソン島北部で死者・行方不明者が2,000人を超えるバギオ大地震が発生し、食料や医薬品の配布、家屋の修繕などの支援を実施しました。1991年にはルソン島西部で、20世紀最大の噴火とも言われるピナトゥボ火山の噴火が発生しました。CCWAは緊急支援だけでなく、住民の再定住地の支援など、数年に渡る復興支援を継続して実施しました。

1991年

1991年、子どもへの教育、栄養・保健の支援、また、地域住民の生活向上のために尽力したことが認められ、東京弁護士会の人権賞を受賞しました。

東京弁護士会の人権賞を受賞
東京弁護士会の人権賞を受賞

1995年

ネパールでの支援を開始
ネパールでの支援を開始

1995年、フィリピンでの活動を開始してから20年、CCWAは新たな活動国となるネパールでの支援を開始しました。最初は、オカルドゥンガ保健事業と女性開発計画・住民組織強化事業の2つのプロジェクトを実施しました。

2001年

2001年、「多年にわたり、わが国の社会福祉及び海外の社会福祉の増進に貢献した団体」として、全国社会福祉協議会会長特別表彰を受賞しました。


チャイルド・ファンド・ジャパンとして

2005年

チャイルド・ファンド・ジャパン

2005年4月、CCWA国際精神里親運動部は、国際協力を行う組織として適切な法人形態に変更するため、「特定非営利活動促進法(NPO 法)」に基づいて、特定非営利活動法人チャイルド・ファンド・ジャパンに法人を変更しました。あわせて、発展途上国の子どもたちの支援に取り組む国際的なネットワーク組織である、チャイルド・ファンド・アライアンスに加盟しました。

2006年

2006年、日本とフィリピンの相互理解と友好親善の促進に貢献したことが評価され、外務大臣賞を受賞しました。また、チャイルド・ファンド・インターナショナルをパートナー団体として、スリランカでスポンサーシップ・プログラムを開始しました。6月には、ネパールの首都カトマンズにネパール事務所を開設しました。

2009年

2009年、国税庁長官より「認定NPO法人」に認定されました。

2010年

2010年、ネパールでスポンサーシップ・プログラムを開始し、300名のチャイルドへの支援が始まりました。スポンサーシップ・プログラムの実施国は、フィリピン、スリランカと合わせて、3ヵ国となりました。

ネパールのチャイルド
ネパールのチャイルド

2011年

岩手県大船渡市の復興支援の様子

2011年、3月11日に東日本大震災が発生し、チャイルド・ファンド・ジャパンは緊急・復興支援を開始しました。子どもたちの生活を充実させ、地域社会の自立と復興を側面から支援すること目指し、2013年3月までの約2年間、岩手県大船渡市を中心に復興支援を行いました。

2015年

2015年4月1日、東京都より改めて「認定NPO法人」に認定されました。