ウクライナで暮らすオクサーナさんのインタビュー
ウクライナでは依然として、多くの人が厳しい環境に置かれています。その過酷な状況について、ウクライナで暮らすオクサーナさんが、実体験をもとに話をしてくれました。
オクサーナさんは、以前も隣国モルドバに避難している際にインタビューに答えてくれていますが、今回は、故郷であるウクライナのオデッサに戻り、オデッサで続く爆撃の深刻な状況について語ってくれました。
居住地への攻撃
「オデッサは私の故郷で、今年の5月に戻ってきました。最初のころは、爆撃は3、4日に1回程度で、市の中心部や民間のインフラ施設から離れていたため、それほど激しいものではありませんでした。
しかし先日、すべてが変わりました。住宅への爆撃が始まったのです。
誰もがショックを受け、怯え、私たちが大切にしているものすべてが壊され、精神的に追い詰められました。
私は22階建てのビルの17階に住んでいて、毎晩午前2時から5時まで、5歳の息子と一緒に避難所に行きます。5分ごとにミサイルやドローンが街を襲い、耳を突き破るような激しい爆撃音が聞こえてきます。
母親たちは子どもたちにこの状況を「ゲームだ」と言っています。私は息子に、ウクライナ軍の兵士たちはマーベルのスーパーヒーローのようなもので、攻撃から私たちを守ってくれているのだと話しています。誰かが死んでしまったのかと息子に聞かれたら、「いいえ、私たちは勝っているから心配しないで。もしかしたら怪我をした人がいるかもしれないけれど、お医者さんが治療してくれるわ」と話しています。
20階以上の大型のビルに対する大規模な攻撃が続いています。私の自宅から1キロのところに落ちたミサイルは、4階建ての建物を破壊し、20階建ての住宅4棟を破壊しました。破壊された建物は住宅だけではなく、小さな学校、子ども向けの博物館、私が息子を連れて行く眼科、スーパーマーケットも攻撃を受けました。通りの反対側には、オデッサ大学の建物があり、爆撃の衝撃波を受けてすべての窓が吹き飛ばされてしまいました。
オデッサの港も攻撃を受けました。そこは私たちの町の中心地で、歴史的、文化的建造物がたくさんあるところです。私たちの文化的・歴史的記憶であり、未来でもあります。ユネスコが、保護すべき文化遺産と認定した地域でもあります。
昨日はイズマイルという私たちの地域で最も穏やかな町も爆撃を受けました。軍事的な施設は何もなく、自然豊かな地域で、穀物を輸出するために船が行き来する港です。ルーマニアとの国境から1キロのところにある穀物倉庫が、15機の無人機と12発のミサイルで爆撃されました。 」
誰もが疲弊しているが、私たちはまだ支援を必要としている
「戦争が始まって以来、1,300万人がウクライナを離れました。残った人々は2つのグループに分けられます。
一つ目のグループは、移動手段がない、外国語が分からない、お金がない、高齢の親族の面倒を見る必要があるなどの理由で、国外に出ることができない人々。もう一つのグループは、事業を持っている人々です。この戦禍において、多くの困難に直面し、利益も非常に少ないにもかかわらず、国を維持するために残っている人々です。彼らが去れば、私たちの生活は崩壊してしまいます。
特に一つ目のグループは経済的に厳しく、支援を必要としている人々です。インフレが進み、基本的な生活必需品の価格は上昇しています。
私たちは疲れきっていますし、皆さんも長引く状況に辟易しているのではないかと思います。ウクライナ人は、各国が民間人に提供している支援にとても感謝しています。誰もが疲弊していることは理解していますが、ウクライナの状況は悪化する一方です。引き続き支援をお願いします。この冬は前の冬よりもさらに厳しいものになると思います。」
ウクライナに暮らす女性、男性、子どもたちは、2022年2月24日以来、500日以上にわたる戦争を経験してきました。チャイルド・ファンドは、ウクライナで戦争が始まってから、国内外の避難民や経済的に厳しい環境にある人々、特に女性や子ども、高齢者、障がいをもった人たちを支援しています。また、ロシアから奪還した地域、農村部や支援が届きにくい地域などにおいて、様々な支援を届けています。オクサーナさんのような人々が、守られ、未来へ生きる希望をもてるよう、これからも支援を続けていきます。