誰からも尊敬されるバンダーリー校長
1つ1つ思い出しながらゆっくりと話すバンダーリー校長
2015年4月、巨大な地震がシンドゥパルチョーク郡を襲い、ジャナジャグリティ校の校舎は壊滅的なダメージを負いました。地震により校舎は全壊、残された建物も修復が不能なほど損壊してしまいました。同校に通う生徒約200名ほぼ全員の自宅が全壊し、教員の一人は瓦礫の下敷きとなり帰らぬ人となりました。
「あの時はこれまで築き上げてきたもの、すべてを失ったような絶望感に襲われました」。ジャナジャグリティ校のリシラム・バンダーリー校長は、そう言いながらあの日のことを振り返ります。
1960年8月、シンドゥパルチョーク郡トカルパ村に生まれたバンダーリーは、1966年2月、新一年生としてジャナジャグリティ校に入学しました。当時のジャナジャグリティ校にはまだ校舎がなく、生徒は、今でも敷地内にそびえる大きな木の陰にスクル(ネパール式のござ)を敷き授業を受けていました。そのままではお尻が痛くなるので、生徒は家からチョコティ(とうもろこしや稲の茎で作ったざぶとん)を毎日持ってきて椅子代わりにしていたといいます。
「生徒の多くは貧しく、制服を着ている子はわずかで、大半の生徒は汚れた、穴の目立つ服を着ていました。雨が降り地面がぬかるむ雨期でも、夜露が凍るぐらい寒い冬であろうと、靴やサンダルを履いている子どもはわずかでした。それほど貧しい時代でした」とバンダーリーは話します。
ネパール事務所のスタッフ(左)に、学校や生徒たちへの想いを語ってくれました
ジャナジャグリティ校に初めて校舎が出来たのは1974年のことでした。地域の人々が協力して山から切り出した木を組み、屋根に藁をかぶせて作った簡素な校舎でした。
バンダーリーが教師としてジャナジャグリティ校に着任したのは1984年3月、まだ24歳の時です。あれから35年、校長となってからも毎日教壇に立ち、自分の孫ほどの年齢の子どもたちに勉強を教えてきましたが、今年1月に惜しまれながら校長を退職しました。
「校長先生の授業は分かりやすくて、教わった内容を不思議なほど忘れないんだよ」。6年生の男の子は目を輝かせて言います。
バンダーリーが木陰に座って授業を受けていた木は、今でも生徒たちを見守っています
面倒見がよく、困った生徒や地域の人がいると居ても立ってもいられないのがバンダーリーの性分です。貧しさから空腹を抱えた生徒には食べ物や文房具を買い、また、学校の行事でお金が不足すると、バンダーリーは迷うことなく、決して多くはない自分の給料の中からお金を出していたそうです。
どれもこれもバンダーリーにとっては当たり前のことです。しかし、地域の人々のバンダーリーへの尊敬と信頼は篤く、60才を目前に引退を決めた際には、保護者だけでなく住民たちが強く引き止めたといいます。
この村に生まれ、教師として35年、村の発展に尽くしたバンダーリーは、2015年の地震からここまでの道のりを振り返り、学校が再建されることを誰よりも喜んでいます。
バンダーリーが生涯をかけて支えたジャナジャグリティ校の校舎建設プロジェクトはこちら→「災害に強い学校づくりプロジェクト」