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学校運営委員長として、学校の再建を見守るディパックさん

ディパックさんがジャナジャグリティ校の学校運営委員会(SMC)の委員長となったのは2018年11月のことでした。学校運営委員会は教職員や保護者、自治体職員などから構成され、学校の運営方針や予算の決定、備品の管理まで広範かつ大きな権限を持ち、いわば学校の理事会にあたります。

38歳のディパックさんがジャナジャグリティ校のSMCで委員長を務めるのは、今回が2度めです。2006年から2011年まで同職を務めたディパックさんが再任されるのは、地域における彼への信頼の厚さ、地域の世話役としての実績があるためでしょう。ディパックさんの2人の子どもも同校に通っており、妻も同じ学校に勤める教師です。ディパックさん自身この学校の卒業生ですが、当時は5年生までしかなく(現在は10年生まで)、卒業後は近くの中高等学校まで、片道1時間の道のりを歩いて通わなければなりませんでした。

「冬は家に着く前に真っ暗になってしまうし、雨季はぬかるみや水たまりで、学校へ通うことそれ自体が日々格闘でした。」

カトマンズの大学へ進学し経済学を学んでいたディパックさんでしたが、現在の妻と知り合い結婚し、家族を支えるためやむなく学業を断念することになりました。しかし、生来の社交性と商才を生かして成功をおさめ、今では地域で雑貨屋を2店舗経営し、トラックを2台所有する運送屋も営むまでになりました。


経営する雑貨屋で

忙しい仕事の合間をぬって、森林組合や学校運営委員会など様々な地域活動も行っているディパックさん。なかでも得意とするのは活動の資金集めです。自らの通学の苦労を振り返り、彼はジャナジャグリティ校を5年制から10年制へと格上げするため郡の教育局に掛け合い、また教師を雇用するのに足りない予算を、地域住人の寄付や政府の助成金から確保することに成功したのでした。

子どもたちをカトマンズの学校に通わせ、自らは職場のあるシンドゥパルチョークと往復する日々だったディパックさんでしたが、2014年の大規模地すべり、2015年の大地震を経て家族がともに暮らす重要性を再認識したといいます。

「子どもたちをこの学校に通わせる決断をしたのは大地震のあとでした。お互いに消息がつかめず眠れない日々を過ごしました。もう二度とあのような思いはしたくありません。」


2018年11月に在ネパール日本大使館で行われた事業の調印式にも同席しました(前列右から2番めがディパックさん)

日本政府とチャイルド・ファンド・ジャパン、また活動を支える支援者の方々に感謝の気持ちを伝えたい、とディパックさんは言います。

「この地域には被差別カーストであるダリットも多く住んでいて、教育の選択肢はこの学校しかありません。彼らが安心して勉強できる環境を提供できるのはすばらしいことです。」

しかし、ディパックさんのプロジェクトはこれで終わりではありません。彼は今、教員の拡充を計画していて、政府のさらなる支援を求めていくのだそうです。

これだけ精力的に地域のために尽くすディパックさんですが、建設現場の作業員たちはときどき困らされることもあるようです。

「あの人は毎日工事を見に来て、材料の質がどうだの、作業のやり方が悪いだのと、専門家でもないのにうるさく言います。」

工事の進捗を見るのが楽しみになっているというディパックさんに悪気はなく、時間があると自宅から数分の場所にある工事現場に来て、作業を眺めるのが日課になっているそうです。作業員たちの気持ちはさておき、こういった地域の目があって校舎の建設が進んでいく、その中心にディパックさんがいるのは間違いないようです。

ディパックさんが見守るジャナジャグリティ校の校舎建設プロジェクトはこちら→「災害に強い学校づくりプロジェクト」