チャイルド・ファンド・ジャパン

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自立したセンターの50周年式典が開催されました。

チャイルド・ファンド・ジャパン(当時はCCWA国際精神里親運動部)が1979年から1998年まで支援した協力センター4のアサンプション・ソシオ・エデュケーショナル・センター(ASEC:Assumption Socio-Educational Center、パナイ島イロイロ市)が創設50周年を迎え、7月7日に記念式典が開催されました。


式典では支援に対する感謝状が贈呈されました。式典に出席した、原島博さん(右から3人め、元CCWA国際精神里親運動部スタッフ)、安海のぞみさん(右から4人め、CCWA国際精神里親運動部を始めた故・大谷嘉朗・リツ子夫妻のご長女)、小林毅さん(右端、元CCWA国際精神里親運動部スタッフ、元チャイルド・ファンド・ジャパン事務局長)。

ASECは、1966年にイロイロ市で発生した大火事の被災者用再定住地のバリオ・オブレロ(「働く人々の村」という意味)で、ゼロからの生活の立て直しを強いられた人々を支援するため1968年に活動を始めました。センターの重要な事業の一つに小学校の運営がありました。CCWAは20年の支援期間にこの小学校に通う1,200人のチャイルドを支援しました。卒業生たちは、教師、ソーシャルワーカー、公務員、IT技術者、医療従事者など社会の幅広い分野で活躍しており、50周年イベントの一環としてバリオ・オブレロで行われた無料診療活動に参加した9人の医師や歯科医のうち、8人はASECの卒業生です。


7月1日に行われた無料診療の様子

1987年から4年間センター長を務めたシンシア・バガさんは、式典で行ったスピーチの中でCCWAの活動報告会のために1990年に来日したとき、ある報告会で出会った一人のスポンサーの方のことを話しました。その方は、支援するチャイルドの数年分の「成長記録」を持ってきて、それを見せながらその子の成長について嬉しそうに話されたあと、「私のチャイルドは一年前に比べて、なぜ体重が減ってしまったのですか?」と質問されたそうです。その質問を聞いた時シンシアさんは、スポンサーの皆さまが心からチャイルドの成長を願い、温かく、そして細やかにチャイルドを見守ってくださっている気持ちに感謝で涙があふれたと言います。


原島さんは、チャイルドだったマジャさん(右)、ジョンさん(左)、そして二人の母親(右から2人め)から声をかけられ、感謝の熱い思いを伝えられました。

式典に出席した元CCWA国際精神里親運動部スタッフの原島博さんは、「スポンサーの皆さまが蒔かれた種がこんなに成長し、多くの実を結んでいることを実感した。これからも、スポンサーや支援者の皆さまの協力を得て、チャイルド・ファンド・ジャパンは求められる支援の拡充に力を入れていかなければいけない」と決意を語りました。

式典には、故・大谷嘉朗・リツ子夫妻のご長女である安海のぞみさんも出席されました。2017年9月に逝去された大谷リツ子先生は生前フィリピン訪問を強く望んでおられ、その意を受けてのご出席でした。安海さんは、子どもたちやASECの関係者から歓迎を受けました。スポンサーでもある安海さんは、支援の成果を目の当たりにして大変うれしいと感想を述べました。大谷リツ子先生については、機関紙「SMILES」43号でご紹介していますので、ぜひご覧ください。