Relay Interview リレー対談 国際協力の基本は受益者を支え、エンパワーすること。しかし、遠く離れた、社会経済環境も違う世界での支えは。日本の人々にはなかなか実感がわかない。身近なスポーツの世界から「支える」姿を伝えて啓発できるかもしれない。スポーツ対談を通して、当団体も生かし生かされる国際協力も見つめ直せるかもしれない。スポーツをするプレイヤーを支える人々に商店を当てた対談により、支えることの大切さとスポーツの力・価値を浮き彫りにする。

第9回 原 晋さん

GEST

GUEST

青山学院大学 地球社会共生学部 教授
陸上競技部長距離ブロック 監督

原 晋さん

1967年、広島県三原市出身。2004年に青山学院大学陸上競技部長距離ブロックの監督に就任。2009年の箱根駅伝に33年ぶりに出場。2015年に同校史上初の総合優勝。2016年には39年ぶりの完全優勝を果たし、2018年まで4連覇を達成。2019年は、出雲駅伝と全日本大学駅伝で優勝し、箱根駅伝5連覇と史上初の2回目の3冠を目指すが、惜しくも総合2位(復路優勝)。次回のリベンジを目指す。詳しいプロフィールはこちらからご覧ください。

GEST

INTERVIEWER

チャイルド・ファンド・ジャパン事務局長

武田 勝彦

中学時代のベトナム難民との出会いが転機となり、国際支援の道を目指す。金融機関での勤務経験や英国大学院留学を経て、いくつかの国際NGOにて、世界各地での開発支援事業や緊急復興支援事業の運営管理、事業部長や事務局長を歴任。2017年4月より現職。

今回は、箱根駅伝で総合優勝4連覇を達成した、青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督の原晋様を迎えての対談です。ビジネスでのご経験を活かし、独自の指導方法で選手を支えていらっしゃいます。お伺いした内容は国際協力の現場にも通じるものがありました。

走ることが好きだった

インタビュー画像1

武田)原監督ご自身も陸上部出身でいらっしゃいますね。様々なスポーツがある中で、陸上(長距離走)を選ばれた理由を教えていただけますか。

原)小学校に入学する直前、海岸にあるテトラポットから転落して海に落ち、足に大怪我を負いました。半年くらい足を固定され、走ることができませんでした。当時はやんちゃな坊主でしたので、治療中じっとしているのが嫌で「早く走りたい!」と思っていました。完治した後は、その反動で走りまくり、走る楽しさを改めて実感したのを覚えています。私は田舎育ちなので、走るかソフトボールをするぐらいしか遊びはありませんでしたし、兄の影響もあり、陸上部に入りました。陸上部に入ってからは、ただ走るのが好きというよりは、勝負にどうやったら勝てるか、そのためにはどのような準備をおこなったらよいか、を考える方が楽しくなってきました。私は負けず嫌いです。勝負にこだわり、陸上を続けました。

監督時代

インタビュー画像2

武田)大学時代、社会人になっても続けられていた陸上でしたが、引退後はスポーツとは関係ないビジネスの世界にしばらくいらっしゃいました。それがどのようなきっかけで青山学院大学陸上部の監督に就任されたのでしょうか。

原)青山学院出身のビジネスパートナーが縁をつくってくれました。「青山学院の陸上部を変革したい!」という熱い想いに惹かれて、引き受けました。体育会はどこも上位下達の厳しい世界で、結果がすべてです。監督を引き受けた時、今までのやり方で良い結果を出すのは難しいと考え、独自のスタイルを組み立てていきました。今までのやり方を否定はしません。ただ、結果を出すためにはこれが必要だというものを組み立て、「原スタイル」を確立していきました。反対する人もいましたので、結果を出すことが重要でした。結果を出せば、反対していた人たちも次第に理解しはじめてくれます。

武田)国際協力の現場と似ています。支援地域の村社会では村のリーダーによるトップダウンで物事が決まることがよくあります。私たちはそれを否定せずに、うまく活用します。また、子どもたちが学校に通い、授業で識字を学んだり、計算ができるようになったりすることは各家庭にとって大きな成果です。

原)監督就任後、私は理念を打ち立てました。「感動を与える人になろう、社会に尊敬されるような陸上部にしよう!」と。社会の構成員の中に陸上部があり、陸上部の中に社会があるのではないですから。

武田)選手時代には気づかず、監督になって初めて気づいたことはありますか。

原)選手たちを大会に出場させるためには、事前の細かい手続きが必要です。自分が選手の時には、監督やマネージャーに任せていたことを改めて実感しました。大会への出場登録からはじまる一連のルールがあり、これらのルールを知らないと全体が把握できないことを知りました。

スポーツとスポンサー企業

インタビュー画像4

武田)企業とスポンサー契約を結ぶ大学の運動部が増えています。一方、スポーツは神聖なものだと、ビジネスとは一線を画すという考えもあります。

原)スポーツの普及には資金が要ります。資金と普及は一体ですから企業の力を借りるのも1つだと私は考えます。ただ、私たちの理念がそれに左右されてはいけません。

武田)青山学院大学陸上部もスポンサー企業を持っていますが、どの企業でもよいわけではないように思います。スポンサーの見極めはどうされていますか。

原)私たちとスポンサー企業がWin Winの関係にならなければ組みません。

武田)国際協力活動をおこなう非営利組織も同じです。支援活動と資金は一体です。また、使命という理念から存在する組織です。資金の力は強いものですから、寄付者の意向が活動に影響を受けることもあります。「私たちのビジョン、ミッションは何か、それを達成するためにどう行動するべきか」を常に考える日々です。

日本のスポーツへの期待

インタビュー画像6

武田)『フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉』(2015年:アスコム)を拝読しましたが、日本のスポーツの生い立ちによる課題について記載がありました。これからの日本のスポーツ界に何を期待しますか。

原)日本のスポーツ界は、大学派閥、年功序列、ボランティア精神から成る世界です。変わることに抵抗がある世界ですが、スポーツ界も社会の一部ですから、時代とともに変わっていくことが大切だと私は思っています。ですから、私や選手がマスメディアで注目されることは、そのきっかけをつくる大事なことだと私は考えます。

武田)次の挑戦は何ですか。

原)この陸上部の成功は、ビジョンの明確化と指導者の覚悟にかかっていると思います。この「原スタイル」」を別のスポーツ種目でも実践してみたいですね。また、4年間成果を出し続けることによって、選手の表情が明るくなりました。でも、海外の選手はもっと表情が明るく、走ることを楽しんでいる。選手が心の底から陸上を楽しめるようにしたいものです。

武田)原監督の挑戦がまた新たな偉業を残すことを祈っています。本日は対談、ありがとうございました。

(対談後の所感) 対談中、原監督からは「理念」という言葉が繰り返し出ていました。ビジョンやミッションは本当に大事だと改めて知らされます。また、私自身、中学時代に陸上の大会で挫折するまで、長距離を走ることが好きでした。その生きがいを呼び戻してくれた原監督に感謝です。